きまぐれバックアップ宣言

Posted by admin | 未分類 | 水曜日 11 3月 2009 1:53 AM

mixi日記を書きためているうちに、少しはオープンにしてもいいかなと思えるネタが増えてきた。

それをどこにアップしようかと迷ったのだが、当面はここに溜め込んでみることにする。

まあよろしくおつきあいください。

仕事のやり方

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,取材こぼれ話 | 水曜日 20 5月 2009 10:18 PM

2004年12月8日

Mochi Rabbit

Mochi Rabbit

急に3週間に渡って拘束される仕事が入った。
どこの業界でも同じかもしれないが、出版界は印刷所が正月休みを取るので、年末は「年末進行」といって格別に忙しくなる。
そこで3週間というのは、痛いを通り越して無謀だったが、世話になった社長からのじきじきの頼みなので引き受けた。

ところが、義理のあるところはその1社だけではないから、当然ほかからも「頼むよ、そこを何とか」という依頼が入ってくる。
ほとんどは無情に断ったが、どうしても断り切れない取材が出てきた。

で、「1日だけ、なんとか融通してくれないか」と担当者にメールで打診したところ、翌朝その上司から居丈高な電話がかかってきた。
「一度引き受けたら最優先でやるのが筋だろう! あんなはいつもそんないい加減な仕事をしているのか!」

寝起きで機嫌が悪かったのもあったが、この発言で堪忍袋の緒は冥王星の彼方にぶっ飛んだ。
「自分たちは無理を言っておきながら、相手の無理は1日たりとも許さないというわけですか。人をなんだと思っているのですか」

丁々発止の言い合いの後、この仕事はなくなった。当然、これまでにやった分のギャラはないだろう。

言いにくいことを上司に言わせる担当者の小ずるさにも腹が立ったが、こちらがコラボレーションだと思っている仕事を、相手は「金で雇った」と認識していることが決定的だった。

プロジェクト・オリエンテッドという言葉がある。目的を実現するために立場や関わり方の異なる人たちをまとめてプロジェクトを進めるときの考え方のひとつだ。
この会社の人たちは、それがまったくわかっていないのだなあと哀れに思えた。

この仕事を失ったことで、経済的な損失はたぶん100万円くらいだろうが、捨てる神あれば拾う神ありで、午後にはスケジュールの空白がほぼ埋まった。
別に営業したのではなくて、「例の仕事、喧嘩したからなくなった」と言っただけでぽこぽこ入ってきた。
「貧すれば鈍する」というが、目先のお金ほしさに魂を売らなくてよかったと、ほっとした。

たぶんこれからも、「あんたは下請け。無理を聞いて当然」という態度の相手とは喧嘩し続けるのだろうな。

入稿作業中

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,取材こぼれ話 | 水曜日 20 5月 2009 10:10 PM

2004年12月6日

At work

At work

黙々と楽しい作業をしております。
何が楽しいって?
ちょっと古くなってしまった写植による本作りのための入稿作業が、です。

最近の本作りはマッキントッシュによるDTP(デスクトップ・パブリッシングまたはデスクトップ・プリプレス)が主流となり、かつて印刷現場から鉛活字を一掃した写植(写真植字)は少数派となりつつあります。

写植機は高額なため、われわれのような編集現場で手に入れるようなものではありません。印刷会社か「写植屋」と呼ばれる専門業者が持つものです。機械も高いのですが、「文字盤」という書体ごとに違う字母をそろえるのが大変。

ぼくらは「Macの書体が高い」と嘆きますが、そんなのは写植屋さんがかつて負担していた文字盤の費用に比べれば、屁のようなものです。しかも年々新しい書体がデビューし、デザイナーがこぞってその書体を使いたがるために、買わないわけにはいきませんでした。

それに加えてシェアNo.1の写研とNo.2のモリサワでは、文字盤の規格が違います。両方に対応するためには、装置を別にそろえなければならな いわけです。「すみません、うちはモリサワがないんです」と何度言われたことか。その隙をついてリョービが写研と共通規格の文字盤を作り、シェアを伸ばし たりしました。

しかしMacによるDTPが普及してくると、写研とモリサワの逆転が起こります。写研はDTPフォントを発売せず、モリサワはどんどん発売したからです。DTPしか知らない若いデザイナーは、いまでは「写研? なにそれ?」と平気で言うようになりました。

でも、本作りの立場から言わせてもらえば、DTPで写植と同等のクオリティーを持つ本を作るのは大変です。まず文字組の揃い方が違います。日本語 の文字組は、升目を並べて作りますが欧文はプロポーショナル・ピッチといって文字の形ごとに字送りが違います。したがって欧文の組版をベースにしたDTP ソフトでは、日本語の文字がきれいに揃いません。

その欠点を克服するソフト、たとえば住友金属のエディカラーや、アドビのイン・デザインというものもあるのですが、業界標準のクオーク・エキスプレスはいまいちです。値段も25万円くらいします。

もちろんDTPでもきれいに文字の揃った組版は可能なのですが、そのためにはスピードを犠牲にしてていねいに文字組を一文字ずつチェックしなければなりません。写植ならそれは当たり前にできるので、写植の本のほうが仕上がりがきれいになるわけです。

さて、これ以上横道にそれないうちに、仕事に戻りますかね。

黄色い電車

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,写真撮影,鉄道ネタ | 水曜日 20 5月 2009 10:04 PM

2004年11月28日

Sobu line

Sobu line

「飛んでも写真」が出てきたのと同時に発見した古い写真。

たかだか3年前なのだが、中央緩行線に黄色い電車が走っている。もはや懐かしい風景となったわけだが、よく見るとこの電車はたくさんあった103系ではなく、オレンジ色の快速と同じ201系。

どこでわかるかというと、屋根の上についている通風装置の形。103系だとキノコ型のグローブベンチレーターだもんね。

「それがどうした?」

はい、お説ごもっとも。大勢に影響のある話ではございやせん。

ま、鉄ちゃんの話というのは、ほとんど一般人にとってはどうでもいいことだからね。

怖〜い話

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,写真撮影 | 水曜日 20 5月 2009 9:59 PM

2004年11月28日

Scary story

Scary story

いまはもうなくなってしまったが、以前よく通った店が赤坂にあった。銀座の文壇バーでチーママをやっていた千夏ママと、新宿生まれで鳶の息子のマスターが、中国人のお姉ちゃんを入れて細々と営業していた店だった。

夜遅く行くと、マスターがひとりでグラスを磨いていたりする。そういうときにそれは起こった。

最初は店の電気が突然消えた。ちょうど、怖い話をしていたときだったから、ぼくらは血が凍る思いをした。

つぎのときは、中国人のレンちゃんもいたし、ぼくらは3人で押しかけて賑やかにしていたから、そんなことが起こるとは思わなかった。
はじめのうちは、「痛い話」をして盛り上がり、つぎは「汚い話」をして大笑いした。そして何気なく「怖い話」に突入した。

そして、神戸出身のMクンが自分のおばあちゃんに降りかかった不思議な話をしたその山場で…。店の天井についているスピーカーから、大音量の男たちの哄笑が響き渡ったのだ。
マスターは腰が抜け、レンちゃんは泣き出した。

「どっかの店のカラオケマイクを拾ったんだよ、きっと」
硬直が解けたぼくがそう言うと、マスターは店の外に飛び出して、フロアを見て回った。
「明かりがついてるの、うちだけだよ…」

それからマスターの「怖い話、禁止!」が布告され、ぼくらはしょんぼりと湿った話で盛り下がった。

そして最後。これが一番怖い。
何って? この写真ですよ。その店に最後に行ったときに撮った写真。今の今まで気づかなかったけど、デジカメ写真を整理していたら出てきた。

暗い店だからストロボを焚かないと写真は写らない。なのにこの光は何?

ぼくはオカルトを信じないし、「飛んでも話」は眉につばをつけて聞く。だけどあの店だけはなあ…。ちなみに店の名前は「とんでもねずみ」といった。

その後ママとマスターは結婚し、一女を設けて鳶の家を継いだそうだ。風の便りでそう聞いた。

半蔵門

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,写真撮影,散歩ネタ | 水曜日 20 5月 2009 8:11 PM

2004年11月27日

Hanzomon

Hanzomon

ひさしぶりのモノクロラインアート。

たくさんの門を持つ江戸城だが、唯一武蔵野台地に接したこの門は江戸城のウイークポイントと呼ばれ、敵が攻めてくるのは必ずここからと予想されていたとか。

そのために一番信頼できる者に守らせたので、服部半蔵の名が門に付いたのだと。きっと少年忍者伊賀の影丸も、この近辺をうろうろしていたのでありましょう。

象が門に体半分しか入れなかったとか、いろいろなオヤジギャグのネタにされている場所でもあります。

リコーのデジカメが持つコピーモードは、コントラストの強い風景で、とくに味を出すようです。デジカメを買い換えることになっても、この写真を撮るためにRDC-7は手放せそうにありません。

ゆうべは大学時代の悪友がわが事務所に乱入し、ふたりでワインと焼酎をがぶ飲みしてしまいました。目覚めてから焼酎の瓶を見たら、1本目の残量が10%で2本目は30%。生活習慣病患者のおじさん2人、おそろしいことであります。

大垣の意外

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,取材こぼれ話 | 土曜日 21 3月 2009 2:56 AM

2004年11月25日

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大垣が芭蕉の「奥の細道」最終地点であることは、頭の片隅に薄ぼんやりと残っていたが、大垣が水の町であることは行ってみるまで知らなかった。

町中を網の目のように川が走り、あちこちで自噴井戸が清冽な水を噴きだしている。町の水道も深井戸水を使用しているとのことだ。

岐阜県第二の市であることや、壬申の乱以降の合戦頻発地帯であること、戦災で焼けた大垣城が国宝であったことなど、初めて知ることがたくさんあった。やはり机の前に座っているだけでは知識が偏る。

弁当箱みたいな電車

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,鉄道ネタ | 土曜日 21 3月 2009 2:50 AM

2004年11月24日

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またまた鉄道の話で恐縮なのである。

西武鉄道の沿線(池袋線江古田駅)に住んでいたときは、東急の車両を表題のようにバカにしていた。「あんな色も塗ってない直方体に乗るなんて、棺桶の方がまだましだ」とか言いながら。

当時の西武鉄道は、今みたいに黄色が主体ではなくてベージュとローズのツートンカラー。決して鮮やかな色ではなくて、ホコリ色と褪せた赤の取り合わせだった。車両は国鉄のお古や中古部品利用の半分新車ばかりで、当時最新の701系電車は、電動車こそ国鉄101系と同じレベルだったが、モーターのない車両の足回りは国鉄旧型客車の台車をつけていた。釣合梁+板バネでは乗り心地がいいはずもなく、東急をバカにするのは100年早いというのが本当のところだった。

それでも西武の自慢はいくつかあった。たとえば10両運転。4両+4両に超旧型車が2両ついて10両。とにかく「運べればいい」というものだったが、私鉄界最長(当時。じき京急が12両運転を開始する)の電車編成は、子供心を圧倒するには十分だった。踏切で通過する10両電車の音を聞いていると、カルダンドライブのモーター音に混じって、ツリカケ式の旧型モーターの音が聞こえてくる。それが西武の「特徴」だった。

西武が秩父線を開通させたときは、お祭り騒ぎだった。新性能で新色(登場当時は黄色とベージュのツートン)の101系、待望久しい5000系ロマンスカー「レッドアロー」、そして私鉄界最強のF級電気機関車E851。地元ファンの鼻がもっとも高くなった時期だった。それでもまだ通勤電車は冷房化されていなかったが。

それからほどなくして、我が家は横浜の港南台に引っ越した。大学に通うにはバス+京浜急行+山手線で2時間近く。遅くなって帰るときはバスがないので、根岸線の港南台駅から25分歩いた。すると西武ファンのプライドはどこかに行ってしまい、今度は京浜急行のファンに鞍替えすることとなる。「やっぱり標準軌は違うね。速いし安定してる」などと言いながら、快速特急の1000系で一番前に陣取り、運転士のかっ飛びぶりをわくわく眺める毎日だった。

そうなってからも、やはり東急のことをバカにしていた。相変わらず「弁当箱」であるし、遅くて混雑するだけのつまらない私鉄という認識だった。それが一変するのは、結婚して目蒲線(もう過去の名称)沿線(鵜の木)に住んでから。職場は池上線(長原)だったので、東急オンリーの通勤。しかも忘れ去られそうなローカル線で、まだ緑色の旧3000系が健在だった。

支線に愛着が湧くと、必然的に本線にも興味が湧いてくる。するとどれも同じステンレスの弁当箱に見えていた車両が、個性豊かに思えてくる。まったくファンの心理というか、人間の気持ちはいい加減なものだ。

とくに感激したのは、わが国初のオールステンレス車両7000系が改造され、最新の制御システムVVVFと新型台車、それに冷房装置までつけて7700系として登場してきたときだ。よその私鉄のようにあっさり廃車にしてしまったり、地方私鉄に売却するのではなく、新車製造と同じくらいの費用をかけて改造する。東急とはなんと物持ちのよい会社かと感動すら覚えた。

写真は、今はなき桜木町行き。渋谷駅で最終日に撮影。

転換クロスシート

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,鉄道ネタ | 土曜日 21 3月 2009 2:37 AM

2004年11月22日

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新千歳空港から新札幌まで乗った「快速エアポート」は、転換クロスシートとデッキつき3扉車という721系。

転換クロスシートというのは、シートの背もたれを前後に倒すことによって座席の向きが変えられる形式のイスのこと。アメリカではとてもポピュラーな方法だし、関西や札幌周辺でもごく一般的なシートなのに、関東ではほとんどお目にかかれない。

関東のクロスシート(座る方向が線路と平行)といえば、乗車券のほかになにがしかの料金を取られる優等列車か、固定ボックス席ばかり。しかも普通列車のセミクロスシート(一部ボックス、一部ロングシート=座る方向が線路と直角)はどんどん少なくなり、通勤電車はオールロングシートになりつつある。関東の通勤客はなめられているのだ。

もうひとつ、デッキつき3扉車というのは、1両に車室が2つある構造。デッキ、車室、デッキ、車室、デッキという形なので、1両のほぼ全部が車室である通常の長距離列車の車内構造よりもコンパクトで落ち着く。この構造の車両であれば、1両の半分を指定席車にしたり、女性専用車にするといった小回りのきく運用ができる。

帰りもこの電車に乗りたかったが、帰りは「スーパーホワイトアロー」の間合い運用車両。乗車券だけで特急用車両に乗せてしまうというJR北海道のサービスに感心した。

会社の名前

Posted by admin | mixi日記アーカイブ | 土曜日 21 3月 2009 2:31 AM

2004年11月17日

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青人社を辞めて独立することになったとき、最初はひとりでやろうと思っていた。家の近所にワンルームマンションを借りて、そこで編集の請負でもやろうかと。

しかし辞表を出してみたら、意に反して部下たちがぞろぞろとくっついてきてしまい、気がつけば10人近い大所帯になっていた。これでは雑誌でも請け負わないと食っていけないぞと焦りまくり、粗製濫造の企画書を持って知り合いの出版社を訪ね回った。

時あたかも出版不況の真っ最中。だれに聞いても「こんな時期に編プロを旗揚げするのはバカだ」という答えしか返ってこない。そんななか、拾ってくれたのがバウハウスの山崎社長だった。「麻雀もゴルフもやらない編集者なら、ちゃんと仕事をするだろう」と鶴の一声で「開業マガジン」の発売元を引き受けてくれた。

そこで困ったのが社名だ。法人格は友人の会計士が持っていた幽霊会社を引き継ぐことでクリアしたが、社名までは考えていなかった。このままいくと「有限会社編集工房」とかのベタな名前になるかと思っていた矢先、昔のエピソードを思い出した。

前にいた青人社は、平凡社雑誌部を会社都合でごそっとやめた連中が、学研から資本をあおぎ、ボスの嵐山光三郎氏と作った会社だったが、その最初の社名が没になったままだったのだ。

「悠々社っていいよな、どうせあくせく仕事するんだから、せめて名前くらいは雄大に構えないと」と合議で決まり、学研に申し入れようとした矢先に学研オーナーから「青人社に決めたから。もう登記も済んでるよ」といわれてがっくりきたのだった。「なんか青二才が業界で威張ってるみたいな社名だな」「モチベーション上がりませんよね」とやけ酒をあおったのを昨日のことのように覚えている。

「…というようなことがあったんだ」とスタッフに話すと、「そりゃあ、悠々社でいくっきゃないじゃないすか」「ほかの名前にする理由、ないでしょ」と全員一致。かくして頼るものもない零細編プロの社名は決まった。ロゴは「旗揚げ祝いに何がほしい?」と聞いてきたデザイン事務所に、「ロゴちょうだい」で作ってもらった。これが今でも使われている。おそらく世の中で一番安い企業マークだろう。

陸中盛岡城

Posted by admin | mixi日記アーカイブ,取材こぼれ話 | 土曜日 21 3月 2009 2:23 AM

2004年11月16日

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陸中盛岡城は慶長年間に南部利直によって築かれた平山城。3層の天守閣は明治6年に破却され、現在は曲輪、石垣、土塁、堀が残るのみで、城址全体が岩手公園となっている。かつては会津若松城、白河城と並んで東北の3名城と言われていたというが、高々と築かれた石垣にその名残を見て取ることしかできない。

南部氏は甲斐源氏の一流で、源頼朝から奥州征伐の功によりこの地を与えられた。のちに秀吉の小田原征伐に参陣し、南部8郡を安堵される。さらに一族の九戸政実の反乱を抑えたことにより3郡を加増、20万石の大名となった。2代藩主重直の死後は盛岡と八戸の2家に分かれるが、ともに明治まで転封もなく続く。

雄藩の居城らしく、石垣は堂々としているが、よく見ると材質は白御影石。城の構造は豊臣期の大坂城に似ていたとされる。ちなみに「盛岡」という地名はこの城ができてからのもの。完成した城を「盛り上がり栄える岡」という願いを込めて盛岡城と名付けたのだという。それ以前この地は「不来方(こずかた)」という名だった。この城も別名を「不来方城」という。

不来方の お城の草に 寝ころびて
空に吸われし 十五の心   石川啄木

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